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藤原良平
星に魅せられモンゴルへ

 1998年9月、司馬遼太郎「モンゴル紀行」の挿絵「星の草原」(須田剋太画)を体験したく家族3人(妻・娘)でモンゴルを訪ねました。首都ウランバートルから100キロ離れた草原のゲルでホームステイ、夕日と満天の星、真っ青な空、香しい草原の匂いを満喫いたしました。
旅の通訳で、ウランバートルの大学で日本語を教えているハンダスレンさんが、日本語学習を目的に1999年1月から4月まで小宅(生駒市)でホームステイ。生駒市の日本語ボランティアの皆さんの善意で、日本語の実力はめきめき上達されて帰国されました。
彼女から次のような礼状が寄せられました。(→礼状文へ

伝統の技とスピードは畳の上で

 2000年8月、2度目のモンゴル訪問。ハンダスレン家の大歓迎を受け、実兄でレスリングのナショナルコーチをしているハマスレン氏の案内で、国境警備隊の体育館「ヒルチン・スポーツクラブ」を見学。騎馬民族の伝統を継承するモンゴルでは、競馬、弓、相撲が三大競技で、格闘技が大好きな民族。案内されたヒルチン・スポーツクラブにもサンボやモンゴル相撲のほかに、レスリング、柔道場が併設されていたが、畳は1枚も無く粗末なレスリングマットや手作りの体力補強器具に心が痛みました。クラブの柔道選手から、柔道の指導教本やビデオ、指導者の派遣などの要請があったが「なによりも畳を備えること」だと思った。柔道の醍醐味である技とスピードを身につけるには、畳の上での練習が必須の条件であると確信しています。

民間ペースの草の根交流・親善

 2001年8月、柔道仲間を同行して3度目のモンゴル訪問。ヒルチン・スポーツクラブの柔道関係者と交流を深め、柔道畳を贈ると同時に「日本・モンゴル友好柔道場」を開設することで同意。柔道を通じて友好の絆を紡いでいこうという、民間ペースの草の根交流・親善です。
  帰国後、同年12月に「柔道畳贈呈の支援者」を募集。送付した120名の内、87名の賛同を得て200万円超の支援金が寄せられました。浄財の有効活用を図るために、柔道畳の製造業を営む高校時代のライバルの協力を得、輸送には、海運業に携わる後輩の専門知識を借りました。
  2002年1月、厳寒のウランバートル駅に待ちに待った畳72枚が到着。ヒルチン・スポーツクラブで開催された「道場開き」には、多数のマスコミ関係者が詰めかけ、日本とモンゴルのスポーツ友好が大きく報じられました。

青少年の心身の鍛錬こそ国をつくる要

 1990年、社会主義国を棄て、民主化されて以来、経済の混乱が続き、貧富の差が拡がっています。モンゴルの人口240万人の3分の1、約80万人がウランバートルに集中、いまでも膨張し続けています。草原から都会にあこがれて流入したものの、国内に仕事が無く、国際的な援助に頼るか、海外に出稼ぎに行くしかありません。両親に見捨てられたマンホールチルドレンも痛々しく思います。
衣類や食料を送る一時的な支援も大切ですが、将来を担っている青少年には柔道で心身を鍛え、逞しく成長してほしいとの願いから、交流と人材育成の場「日本・モンゴル友好柔道場」を立ち上げました。
(構成・文 彦阪 順)


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