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ハンダスレンさんからのメッセージ

ヘンティー、ハンガイ、サヤの高く美しい山々。
北の飾りになった木々の緑に覆われた森。
メネン、シャラガ、ノミンの広大な草の大地。
南の美しい砂の海。
これが私の生まれた故郷。
モンゴルのすばらしい国。

大作家ナツァグドルジの詩がわたしは大好きです。わたしの故郷は中央アジアの棟(むね)に位置しています。13世紀チンギス・ハーンの時、ユーラシア大陸を支配していました。それから歴史のさまざまな段階を経て、強大になったり、弱くなったりしてきました。200年間満州族に支配されて、モンゴルは1924年に独立しました。それから1990年まで社会主義の国でした。
社会主義の70年間に国の指導者は2人でした。長い間、モンゴルの指導者のことを神様のように思っていて、自分の考えている言葉を自由に言えなかったのです。

1991年に民主主義になって、モンゴルはゆっくりと発展しています。人々の考え方も変わり、生活も少しずつ良くなっています。 モンゴルと日本の関係も広がってきて、日本人旅行者の数も増えてきました。

社会主義のとき、モンゴルに1つしか外国語大学はありませんでした。この大学はロシア語大学という名を付けていました。その時、日本語を解る人は大変めずらしい存在でした。

民主主義のおかげで私立大学がたくさん出来て、わたくしは1992年日本語を習うため外国語大学に入学いたしました。モンゴル語とまったく違う言葉を習うのは大変でしたけど、私は日本という国がどうやってこんなに発展したのか、日本を発展させた国民はどうやって働いているのか、いろいろと知りたくて、今でも勉強を続けています。

大学の3年生からGTB旅行会社で、夏のアルバイトとして、日本人旅行者のガイドを始めました。最初は言葉が出てこなくて、相手からの言葉もわからなくて、緊張していました。大学を卒業しても私の日本語はまだまだでした。

1998年9月です。モンゴルは秋になって涼しくなり、旅行者も少なくなりました。そんな時 GTB旅行社から電話があって、もしよかったら、3人の日本人旅行者のガイドをしませんかと聞かれて、私は嬉しくてハイと答えました。3人の旅行者は、私の今の日本のお父さん、お母さん、みどりさんでした。私は4ヶ月後、この3人の家族を訪問し、日本国を、始めて自分の眼で見ることができました。(1998年1月から4月まで藤原宅にホームステイ) 日本人のやさしさ、礼儀、日本の経済発展、サービスの素晴らしさを見て、感動いたしました。

また、ホームステイ中、みどりさんとは、藤原宅で姉妹と同様にしていただきました。
 2002年、日本からお父さん(藤原さん)中川さん、八木さん、小笠原さん、小松原さんらと、 モンゴルから私の兄(ハマスレン)、ヒルチンクラブディレクターのダシジャムツ、私(ハンダスレン)とで、モンゴルの子供達の教育のため、モンゴルNPO「MJ協会」を立ち上げました。

私は、礼節を重んじるスポーツ、柔道を通して、今までいろいろな活動を行ってきました。
これからも、私たち一生懸命がんばります。皆様もご支援、協力をお願いいたします。
「MJ協会」
ハンダスレン

(C) Japan Mongol Friendship Judojo