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 No.16

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10回目のモンゴル                                                                  代表 藤原 良平

70年続いた社会主義から民主化されて16年、モンゴル人の寿命が短いこともあって急速に若返り、国はパワフルで活気にあふれています。1998年に初めて訪問したときのウランバートルの人口が65万人といわれていました。それが、いまでは100万都市になろうとしています。しかし人口が急増した分、都市問題が深刻化しています。住宅、道路、医療、教育、ごみ処理、大気汚染、不就労者の増加、遊牧民の激減と問題は山積しています。優秀な人材で海外に出稼ぎに行く人も年々増えています。
今回の訪問で初めて、「MJ協会」で奨学金を支給している学生と交流会を持ちました。9人の学生のうち8人が集まってくれました。相互に質問が飛び交い、活気のある楽しい会になりました。そんな中、彼らの夢を聞いてみました。将来柔道の指導者になりたいと語った子はいましたが、社会人としての職業の夢や、外国への雄飛などの夢を語った子はいませんでした。彼らの生活状況や、いまのモンゴル社会を物語っているように見えました。私たちはこれからもモンゴルの子供たちに少しでも夢を与える役割を担っていきたいと思います。
ウランバートルの中心スフバートル広場の正面にチンギス・ハーンの銅像が設置されました。旧ソ連の衛星国の時代はチンギス・ハーンを崇拝することは不可能でした。しかし、1990年民主化によって名誉を回復し、民族の歴史的英雄は「国をまとめ、人々をつなぐ」象徴になったのです。
モンゴル帝国建国800年、当時の帝国は堺屋太一氏によると、いまのアメリカ合衆国に匹敵する「無敵無限の超大国」だったそうです。これからの平和国家モンゴルは遊牧と観光立国を目指しゆっくりと変化していくものと思われます。同行した仲間と満天の星の下、勝手にモンゴルの将来を語り合いました。
訪問8年目にして、初めてナーダムを見ました。若者のモンゴル相撲、子供競馬、高齢者も参加する弓射、国を挙げて夏のひと時を楽しんでいました。老若男女バランスの取れたすばらしいお祭りでした。
8日間の訪問を終えて、帰国の機中、日本は梅雨の真最中、温度も30度を超えたと聞き、そのまま草原に引き返したい気持ちでした。
奨学生と交流会 新しくできたチンギス・ハーンの銅像の前で


                   


                                「モンゴル訪問の旅」8日間




期  日:2006年7月7日(金)〜7月14日(金) 8日間
メンバー:加藤信二氏、小笠原和俊理事、小西輝幸氏、中川達治理事長、藤原良平代表の5名
行き先 :モンゴル国ウランバートル、テレルジ


MJ協会事務所を訪問(7/7)
午後4時、ボヤント・オハー国際空港で「MJ協会」幹部の出迎えをうけ、ホテルへ直行、荷解きの後「MJ協会」事務所へ、先に帰国していた下村ハンダスレンさんの手料理(モンゴル料理)で夕食を楽しんだ。
室内の掲示板に新たに11名の支援者の名札を追加し、合計192名になった。


MOC・MJ協会道場・ハルハ法科大学訪問(7/8)
午前9時30分、モンゴルオリンピック委員会事務総長 オトゴンツァーガン氏を表敬訪問。「MJ協会」の活動に対し感謝の言葉があり、訪問した5名に対し、MOCのバッジを頂いた。30分の対談後、過去オリンピックで活躍したモンゴル選手の展示場を見学した。メキシコオリンピックで初めてモンゴルに銀メダルをもたらした大相撲の白鵬の父の勇姿があった。彼はモンゴル相撲で6回優勝の大横綱でもある。
午後10時30分、MJ協会道場を訪問、子供たちだけの練習を見学した。青年たちは地方に行きナーダムの練習をしているとのこと。柔道着がそろわぬまま、元気な練習振りに、支援の気持ちを新たにした。
午後11時30分、ドーフー学長の案内でハルハ法科大学を訪れた。未完成の校舎で授業を開始しているという。学生は300名。将来別棟を建て、道場を造る計画。いまの「MJ協会」の畳をここに持ってきて常設の道場にしたい旨、国境警備隊とも了解済みのようだ。
モンゴルオリンピック委員会事務総長と MJ協会の道場で子供たちを激励
奨学生交流会(7/8)
チンギスハーンホテルでMJ協会と奨学生の交流会を行いました。私たち5名を入れて18名。遠方から汽車でやって来た子供たち。ダルハンのボルボバータル君は9時の汽車で帰りました。
エルデネのダワースレン君は親戚の家に泊まるそうです。食事の後、馬頭琴やホーミーなどの舞曲舞踊を楽しみました。MJ協会から各自に新品の柔道着を贈呈し、閉会いたしました。
奨学生たちの夢を聞く
テレルジ1泊旅行(7/9〜10)
7月9日の午後からテレルジリゾートに向かいました。今年は例年に無く雨量があり、草原の緑が濃く木々もうっそうと茂っていました。川もいつもより水かさがあり、乗馬での渡河は難しく、草原のトレッキングに代わりました。ゲルの周りは香しいお花畑で、いつまでも寝転がっていたい気分でした。
オーロラのような不思議な夕日と、夜中には満天の星がゲルの小さな天井に広がっていました。
騎馬軍団の勇姿 ゲルの前で親父ギャグを連発
ナーダム見学(7/11〜13)
11日午前中、ナーダム祭の開会式が国立スタジアムで行われました。大統領が開会宣言し、外国からの賓客や在モンゴルの大使たちが集まりました。式後、モンゴル相撲の1,2回戦が行われました。
今年は記念大会として例年の512人より倍の1024人の全国大会になりました。
12日午前、競馬の会場はウランバートルから西へ30km離れたドローンホダクで行われました。
決勝点付近では、馬が倒れ泣き出す子や、馬だけがゴールに駆け込むドラマが見られました。
会場へ車で来ると大混雑、馬は渋滞なし。 広々とした草原の丘から競馬を見る
日本人死亡者慰霊碑を参拝(7/12)
1945年〜1947年、第二次世界大戦が終わって、12,000人以上の日本の軍人がソ連軍の捕虜となり、モンゴルに送られて、強制就労させられました。
そのうち、1500人以上が亡くなりました。それらの兵士の哀悼の意を表すため、2001年、ウランバートル市に慰霊碑が建設されました。
異国の丘で無くなった兵士の無念さが伝わってきます。
慰霊碑の下で
MJ協会お別れ会(7/13)
夕方からナイラムダル公園のソウルレストランでMJ協会の家族とお別れ会を行いました。
ナイダン家の皆さんやドーフー先生、子供や孫を含め17人の参加となりました。
後から、ナーダムを終わったダシジャムツさん、プレフスレンコーチら3人が駆けつけてくれました。
彼らのデール姿(モンゴル民族衣装)は、とっても勇ましかった。
ダシジャムツ先生もお別れに駆けつけた

                  


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初めてのモンゴル






                                   初めてのモンゴル



                                                                         加藤 信二




私は「日本・モンゴル友好柔道場」の一員として7月7日、初めてモンゴルの地を踏んだ。
同行者は代表の藤原良平氏、理事長の中川達治氏、理事の小笠原和俊氏、小西輝幸氏でした。
ウランバートル国際空港に到着すると現地のモンゴル・日本格闘技振興協会、通称「MJ協会」の会長ハマスレン氏、ハルハ法科大学学長ドーフー氏、滞在中の通訳とスケジュールの進行をしていただいた下村ハンダスレンさんの出迎えを受けた。
折しも今年はチンギス・ハーンによるモンゴル建国800周年にあたり、町は活気に満ちていた。
しかし、道路は穴だらけで走行中に何度も頭を天井にぶつけた。信号機の数が少ないため、より交通渋滞に拍車をかけていた。道路整備がこの国では最も急がれると思う。
滞在2日目午前中に、モンゴルオリンピック委員会事務総長のオトゴンツァーガン氏に面会した。
北京オリンピックには30名以上の選手を派遣したいと語っていたが費用がないため苦労しているとの事、有力種目は柔道、レスリング、射撃とのことでした。
藤原代表との会談で彼が本当に信頼されていることがよくわかりました。今まで地道な活動を重ねたからでしょう。
午後待望の柔道場を訪問した。驚いたことにそれは国境警備隊訓練所の中にあった。
72畳の道場で10歳から18歳くらいの少年少女たち15名ほどが熱心に乱捕り稽古をしていた。
中には柔道着が無くトレーナーの子もいれば、5分間の交代で上着を相手に着せて自分は上半身裸で練習する子もいた。私はその様子を見て思わず涙がこぼれた。
今回の訪問で柔道着を25着持参したが、モンゴルではまだまだ数が足らないようだ。練習を見ていて基本のできていない子が多く、よい指導者が必要だと思った。
MJ協会の活動が始まって5年が経つそうです。私もこのように協会のお手伝いができることをうれしく思った。11日〜13日は国の祭典ナーダムでモンゴル相撲、子供競馬、弓を見せていただいた。また滞在中、羊、牛、豚などの肉類中心の食事でしたが、私には合うのか、毎日美味しく頂いた。
14日早朝、日本に向けモンゴルを離れました。お世話になったモンゴルの皆様ありがとうございました。
また来られる日を念じながら、モンゴルが一日も早く住みやすい国になりますように。



ダラ オールザトゥラー バエルタエ (また会いましょう さようなら)

草原の勇者 モンゴルオリンピック会館の前で



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