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 No.41

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●モンゴルレポート●



2015年あけましておめでとうございます。

新年明けましておめでとうございます。支援活動を始めて14年に入ります。
多くの方々に支えられて長く続けることができました。また、いろんな方から励ましの言葉もいただいています。

今年も頑張ろうと、心を新たにし、新年を迎えました。よろしくお願いいたします。


                                  会長 藤原良平



モンゴル訪問記



2014年10月20日(月)から24日(金)にかけて、中川理事長とモンゴルを訪問した。この時期は関西からの直行便がなく、成田に行くか、仁川(インチョン)で乗り継ぎをしなければならない。

今回の訪問の主な目的は「第12回MJ少年柔道大会」のプレゼンターを務めることである。

もうひとつは、これからの少年柔道大会と道場建設について、ダシジャムツ氏(ヒルチンスポーツクラブ最高責任者)と話し合うことである。

今回の訪問で特筆すべきことは、かつてに日本に滞在し、私たちと交流があった若者たちが通訳、送迎、案内などをサポートしてくれたことである。

 

第1日目(20日) 関空を昼過ぎに出発したが、仁川空港での乗り継ぎの時間待ちが6時間近くあり、ウランバートルに着いたのは夜の10時半である。すでに、夜の気温はマイナスの世界に入り、車に乗るまで、寒さに震えた。ジンギスカーン空港で、ダシジャムツさん、ナイダンさんに迎えていただき、東京から先に到着していたゲンデンさんに待っていただいた。

丁度、海外遠征に行っていた、ナショナルチームと同機で一緒に降り立った。ナショナルコーチやロンドンオリンピック銅メダリスト/ニャムオチル選手もいた。8月のロシア・セルビンスク世界選手権-60kg級モンゴル初めての覇者、ガンバット.ボルドバータル選手にも会えた。12年大阪国際親善柔道大会で2連覇したメンバーのニャムスレン.ダグワスレン選手(当時、東日本国際大学生)にも会えた。宿はモンゴルNPO「MJ協会」の支援者バトバヤル氏が経営する「ハラーホテル」を用意していただいた。ホテルに到着後、ダシジャムツ、ナイダン両氏を交えて明日からのスケジュールの打ち合わせをし、長い一日はようやく終わった。

第2日目(21日) ホテルで遅めの朝食。03年大阪の世界選手権大会に招待した国境警備隊のウスバヤル氏が今日と明日の運転手を引き受けてくれた。体重は150kgと見た。45kgの旅行カバンを軽々と4階の部屋から階段を伝って降ろし、引越し先の4階の事務所にも階段を一人で運び上げてくれた。荷解きの後、昨日から行われている「第12回MJ少年柔道大会」の会場「相撲会館」へ、相変わらず道は渋滞している。役員席に案内され、いつもの皆さまと挨拶を交わし、試合見学後、表彰のプレゼンターを引き受けた。閉会式の講評を頼まれ、「元気な素晴らしい試合を評し、2020年の東京オリンピックに、この中から、選手がでて、金メダルを取られることを期待します」と締めくくった。終了後は会館のサロンで打ち上げパーティー、試合の成功を祝いアルヒで何回も乾杯した。夕食は事務所で、持参の和食、自炊したが結構いける。


第3日目(22日)午前 10時にモンゴルオリンピック委員会を訪問。事務局長のオトゴンツァーガン氏が迎えてくれた。何度もお会いしている氏はユーモアたっぷりに話が弾み、モンゴルのスポーツ事情を話された。その中に「私たちは2040年の夏季オリンピックの開催地として立候補をしたい」と真剣な表情で語られた。開催国として、全種目参加を目指すとなると、施設の建設を含めこれからの準備が大変だと感じた。また資源国として経済が発展し続ける自信がうかがえた。海外から指導者を招き、海外にいるモンゴルのスポーツ選手を呼び戻さなければならない。大きな事業計画を伺い、こちらも元気になり、勇気をもらい、心配と同時に、わくわくしてきた。

11時、モンゴルレスリング連盟を訪問、事務所はスポーツ会館(元サーカス館)の横にあり、連盟の会長はダグワドルジ(元横綱・朝青龍)氏である。 MJ協会ハマスレン会長のレスリングの師匠、五輪メダリストのナツアグドルジさん70歳を記念した大会が11月1日に開かれる。そのメダル(金、銀、銅、計35個)を連盟に贈呈しました。


3日目(22日)午後

昼食後、新しいヒルチンクラブ(国境警備隊付属のスポーツクラブ)の武道場を訪問。私たちが 4と12年前贈呈した柔道畳が敷かれている。レスリング、モンゴル相撲も併用するが、時間を分け、 練習時は畳の上にレスリングマットを敷き行う。元国境警備隊の兵舎跡で畳120枚を敷いている。建物は古びているが、スペースに余裕があり、付帯設備(シャワールームや更衣室)も設置できる。周りはゲル住宅地(遊牧を捨てた人々がウランバートルに流れ住む)で、貧しい人々が多く住むところ、MJ協会設立の趣旨「柔道に興味を持つ、親の無い子やストリートチルドレン、生活水準の低い子供たちに学ぶ機会を与える」に合致する。幹線道路からの進入路が凸凹道だが、皆で直すという。すでに、「MJassociation」の表札を掲げていた。当日は道場開きで、50名余りの子供たちが練習していた。私たちが現れると整列して、挨拶をしてくれた。プレフスレン、ルフサンプレフ両コーチも目を光らせている。新しい道場への思いが色々膨らんできた。

道場訪問後、いったん事務所に帰り、休息の後、ニャムスレン。ダグワスレン君の運転でバヤンゴルホテルに向かった。

モンゴル柔道連盟のパグワ副会長と夕食、懇談。連盟のマネージャーのダムディンスレン氏も加わって、モンゴル柔道の躍進ぶりをゆっくり聞くことができた。途中でフランスから来ているナショナルコーチも加わって話が弾んだ。フランスとは交流が盛んで、一昨年も女子チームと顔を合わせた。特に軽量級の躍進が著しいモンゴルに学ぶところが多いようだ。また、組織の作り方をモンゴルはフランスに学んでいるようだ。柔道人口がますます増えている両国の自信を感じた。

 

第4日目(23日) 事務所で持参の朝食材で自炊。

10時〜ダシジャムツ氏と事務所で会議。これからのMJ協会について議論を交わした。私たち日本・モンゴル柔道友好協会の考えを明確に示し、特に道場建設、MJ少年柔道大会について話し合った。

国境警備隊に用意していただいた車の運転手と共に、モンゴル料理ボウズで昼食。ノミンデパートとスカイショップで買い物を済ませ、事務所へ帰る。今日の深夜に帰路へ。

 

第5日目(24日) AM4時 仁川着。ハブ空港にはシャワールムや仮眠のソファーのある休憩所がある。一寝入りして、AM9時30分発一路関空へ。



「MJ協会」ダシジャムツ代表とこれからの活動について打ち合わせ

 

理事長 中川達治

 

日時: 201410231012時  場所: ウランバートルMJ協会事務所

メンバー: ダシジャムツ代表、 藤原会長、中川理事長、ゲンデン通訳兼アドバイザー。

1、  2015年以降、MJ少年柔道大会への支援について

 初回から第12回までの賞品、メダル、運営費用、全てを「日本・モンゴル柔道友好協会」が負担し開催してきましたが、支援者の高齢化、人数の減少があり、今まで同様の支援が困難になっている。

そこで、来年以降の大会については、優勝杯とメダルは、提供できますが、運営費用(役員の報酬、会場費など)や賞品はモンゴル「MJ協会」で負担してほしい。

ダシジャムツ(以降Dとする): いつも感謝の気持ちを持っています。費用の負担を当方で行うことは相当厳しいですが、多くの子供たちがこの大会を楽しみにしていますので、MJ協会の役員と力を合わせて継続していきたい。今年は我々の手違いで賞品が届かないことを知らず。急遽、私個人が賞品の資金をねん出いたしました。

 

2、「MJ協会」専有の道場建設計画は土地確保が難しい状況で、中止を余議なくされている。

道場建設用資金「MJ基金」については、他のことに有効利用をしていきたい。

D: 国境警備隊の敷地内にある古い建物を利用して、柔道、モンゴル相撲、サンボの共同使用ですが、道場があり、その設備を充実させるための支援を是非お願いしたい。(打ち合わせ前(22)に、道場見学をした)周囲は貧しいゲル生活地区で、子供たちの柔道に対する強い意欲も感じられる。

支援資金を効果的に使っていきたい。具体的には、畳の提供、設備の充実などにも充てたい。

 

3、「MJ協会」2015年以降の活動計画はどの様に行うか。

D: 柔道普及(モンゴル内)のため地方に出向いて、デモンストレーションを行いたい。そのため畳は運んでゆく(国境警備隊/ヒルチンクラブと共同で行う)

又、「MJ協会」設立15周年には、記念として、活動記録をビデオ番組として制作する。モンゴルの放送関係(メディア)との人的ネットワークもあるので放送を実現したい。

 

4、日本・モンゴル柔道友好協会へ依頼したいことはありますか。

D: 今まで同様これからも支援をお願いしたいと思っています。MJ少年柔道大会を継続するには、

冠(スポンサー)を付けて開催しないと困難かとおもいます。(早い時期から連絡を取り合い、支援内容を報せ対策を検討する)

 

打ち合わせの最後に藤原会長からMJ少年柔道大会の優勝者の日本への招待案や女子選手の奨学金支給など人的交流を中心とした支援活動も、もう一度考えていきたい。と提案があり、打ち合わせは終了した。



大阪国際親善柔道大会
 

 平成26年度大阪国際親善柔道大会 報告 

     「MJチーム」団体戦3連覇達成!      理事長 中川達治


平成261116日(日)堺市大浜体育館にて第19回大阪国際親善柔道大会が開催された。
主催は大阪国際柔道友好会(KIWI CLUB OSAKA)。

参加は15カ国152名で、各国華やかな雰囲気の国際試合だった。大会カテゴリーは、男子16歳未満から60歳以上まで8クラス、女子は体重で57kg以下と57kg以上の2クラス。男、女団体の部と全部で12のカテゴリーで行われた。
我々「MJチーム」の出場選手は当初予定より大幅な変更になった。モンゴルからこの大会に参加予定で、モンゴルナショナルチームのメンバーであるダグワスレン選手が、他の国際試合に出場が決まり、参加できなくなった。また、前回出場していたポイントゲッターのエルデネバット選手が出場できなくなった。たまたまエルデネオチル選手の弟がモンゴルから日本に遊びに来ていたので、急きょ参加してもらい何とかメンバーを揃えることができた


当初、審判員と個人戦のみにエントリーしていたゲンデン選手にも急きょ団体戦に加わってもらった。

メンバーは仕事の都合もあり、全員が宿泊先ホテルに揃ったのは前日の深夜。試合は5会場で、最初に個人戦のトーナメントが行われた。「MJチーム」の5名はそれぞれのカテゴリーに出場し、試合が行われた。結果は25歳以上30歳未満の部でバヤンバートル選手が準優勝、30歳未満の部でエルデネオチル選手が3位。今回、個人の部での優勝は果たせなかった。

開会式の後、前回・前々回の団体戦の決勝戦の相手である韓国釜山チームの李監督と挨拶を交わした。李監督は挨拶の中で「今年は是非優勝したい」と、この大会への思いを話した。

団体戦は15チームが出場し、トーナメント方式で行われた。第17回(平成22年)、第18回(平成24年)と連続優勝している「MJチーム」は3連覇を目指し、また韓国釜山チームや在日韓国人チームも連覇阻止に熱い闘志を燃やしてこの大会に臨んできた。

前回優勝のMJチームは1回戦不戦勝ちで2回戦は堺柔道協会チームと対戦。3回戦はブラジルメディロスチームにそれぞれ勝利し、決勝戦は前回同様韓国釜山チーム(釜山市役所が中心に編成)と対戦した。MJチームは先鋒20歳のバヤン(福井工業大学生)が幸先の良い1本勝ち。次鋒ゲンデン・バタエルデネ(当チームのキャップテン)も1本勝ち。中堅エルデネオチルは相手の速い攻めに対応できず惜敗。副将のエルデネオチルはパワー溢れる柔道で1分足らずで1本勝ちを収め、早々にチーム優勝を決定した。大将のバヤンバートルは団体戦ではこれまで全く危なげない試合運びで勝利してきたが、釜山チームの穴であり一番勝利を計算できる宋選手が苦し紛れに懸けた技に反応し、とっさに相手の足を持ち上げたため反則負けを宣告された。結果としては3対2の勝利だが、内容は圧倒していた。

団体戦男子の最優秀選手は全勝のゲンデン・バタエルデネ選手が選ばれました。選手達のチームワークと素晴らしい活躍で3連覇できて、監督として楽しく試合を見ることができました。

モンゴルチーム全員に言えることだが、勝負に対するどん欲さや執念は凄いとしか言い表せません。彼らの身体能力は日本人では、普通の努力では対抗できないと改めて感じました。

表彰式終了後、各チームから祝福の挨拶をもらい、フエアウエルパーティーに参加して各国の選手と和やかな交流会を行いました。韓国釜山チームの李監督が私のところに来て両手で握手をしながらお祝いの挨拶と併せ、「次回こそリベンジしたい」と話された。

MJチームのメンバーは明日からの仕事を控えて勝利の余韻にも長く浸る事ができず、次回の20回大会にも参加できるよう、みんなで頑張ろうと誓って早々に帰路に着きました。

大会会場では藤原会長に色々とサポートをいただき、また「日本・モンゴル柔道友好協会」の理事河村喜久氏が動画の撮影や、試合の写真を撮っていただき、選手にとっては良い思い出の記念になりましたことを感謝しています。次は「MJチーム」の4連覇を夢見ています。


大阪国際親善柔道大会に参加して

通訳兼アドバイザー ゲンデン・バタエルデネ


まず初めに、今大会に参加するに当たりまして全面的にサポートしていただいた「日本・モンゴル柔道友好協会」のみなさまに、選手を代表して深く感謝申し上げます。
2014年11月16日(日)に行われた大阪国際親善柔道大会に、日本で活動して柔道に関わりがある5人のメンバーを集め、出場することになりました。私は試合前日に大阪に到着し、他のメンバーに確認の連絡をしたところ、みんなが何と自宅におり、そのうち1人から「大会は来週の23日でしょうって」言っていることを聞き、夢ではないかと自分のホッペを思い切り叩きました。

個人戦は4人の選手が出場し、私は昨年タイ国で開催された柔道の国際審判の資格を得ましたので、今回初めて審判員をさせていただきました。

個人戦が終了した時点で5人のメンバーのうち2名が怪我をしてしまい、今回は勝てないかと思っていました。個人戦終了後に「MJ協会」の理事長でチームの監督をしていただいた中川さんに呼ばれ、今回は3連覇が難しいかもしれないと言われましたが、私はやってみなければわかりませんと言い、気を引き締めてやっていこうと強く自分に言い聞かせました。選手達は見たところ怪我もしているので、不安そうな感じでした。言葉より自分の柔道でチームを元気付けようと思い、強い気持ちで団体戦に臨みました。5人の力を合わせ結果的に3連覇することができ、とっても嬉しく思いました。

2007年に初めて大阪国際親善柔道大会の個人戦に出場するために大阪に行きました。大会にモンゴル人の選手が出場しており、初めて「MJ協会」について知りました。それから「MJ協会」会長の藤原さんに来年仲間を集め団体戦に出てみませんか、と誘っていただきました。2回ほど挑戦しましたが優勝できず、悔しい思いをしました。それから2010・2012・2014年の団体戦で、モンゴル「MJ協会」の名で優勝することができました。

大会ごとに会場に足を運んで応援をいただいている藤原会長とそのご家族をはじめ、監督を務めて頂いた中川理事長、また多くのMJ協会の皆さまに協力、応援をいただき心より感謝申し上げます。

 


 
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